1号開発経緯のための長い文章

 ※以下長文書きます。ツイッターじゃできないのでここで書き殴りますので、興味のある方は1から見ていってください。開発経緯は3です。

 

1・序文

 農業とは古くから、家族や集落、共同体が主体となって行うものでした。

 家長が嫁を貰い、子供を作り、祖父祖母含めた一家総出で、あるいは、隣近所と共同で農作業を行う。時には牛馬を用いて行われるその作業の多くが重労働でした。

 時代が進むと、都市部への人の流入が起こり、農家の嫁不足が深刻化しました。

 私の地域に残っている文化を見てみると「農休日」というものがあります。これは、休みなく働く農家の嫁を気遣って、逃げ出さないよう60年ほど前に作られた制度です。年間に数日、行事や節季を基に全戸休むと決めたものです。この頃が、高度経済成長の時期です。

 さらに時代が進むと機械化が常識となり、重労働は減っていきました。しかし、農業人口が回復することはありませんでした。他の産業に比べ農業の金銭的魅力が低く、難易度が高いこと、新規参入のハードルの高さに原因があると考えます。非農家が農業へ参入するための農地、設備といった農業を始めるための資産は高額であり、また、農業という複雑系の理解と対応、地域社会、文化への不理解(近代化による合理的と古くからの非合理的を理解できず、知らないため)によって非農家の新規の参入は増えず、跡継ぎを失った農家の減少、高齢化が現状の日本の農業です。

 

2・新規参入ハードルについて

 栽培技術や農薬、肥料の進歩は農作業の難易度を各段に下げて、兼業農家というスタイルを有利なものとしてきました。しかし、専業農家は増えにくいです。

 専業農家を増やす取り組みとして、新規就農者を支援する制度が注目されています。これは、農業への参入ハードルが下がる制度です。しかし、この制度を利用する若者の多くが一人農家の限界と精神面のサポートというハードルにぶつかります。(一人農家というのは、現代の未婚化や晩婚化、ライフスタイルの変化という現象により発生するものですが、なんとなく農家の嫁不足の延長にある現象であり、実際には60年前から変わっていない問題のように感じます。)

 農業とは古くから、家族や集落、共同体が主体となって行うものでした。というのは、『一人では対応しきれない』という意味です。農作業に限ったことではなく、社会で生きていく、役割を果たすという意味でもあります。外では消防団や青年会、農地の保全活動、用水路の清掃・草刈り、地域のごみ拾い、祭り、葬式への出席、内では病気、経費計算、帳簿作成、税務申告など多岐にわたります。

これらはある程度時期が決まっていますが、突発的に発生するものもあります。  

 一人で農作業を行っていると初めの数年は思い通りに農作業ができることはありません。それは、【自然の複雑系】によります。そして同時に、【社会の複雑系】というものへの対応を迫れた時、精神的、肉体的に挫けることになると考えます。

 

3・挫ける原因を少なくしたい 

 多くの重労働が機械化されてはいるが社会環境に伴い導入のためのコストは増すばかりである。そして、軽視されがちなのが軽作業である。これには企業も二の足を踏む。というのも、ニーズはあるが開発は大変。その割に買う人が少なく、利益が望めないからだ。買う方も軽作業に金を払って買う余裕はない。ということで、自分で作るという発想は間違っていないと思う。「現代農業」でも、塩ビパイプや単管パイプなどで自作の農機具を紹介する単行本もある。

 では、軽作業とはなにか、大変なところはどこなのか。それは、現場で作業する【非農家】の感想から聞こえてくると思う。

 

次回から電動コンテナカーの感想と改善点を書きます。